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メディアの偏向報道のせいもあってか、まさに孤軍奮闘イメージが前面に押し出されている渡辺さんですが、調整力とかあまり気にせず、信念に従って突き進むっていう部分でいうと、やっぱりこの人も小泉さん型なのかもね。

小泉政権はポピュリズムとか愚民政治とか一部の論者から散々いわれてた。当時はまさに一部の声を除いてはマスコミ総出で祭り上げ状態だったけど、たしかに大衆迎合的な面は多々あったし、功罪でいえば罪が圧倒的に大きいというのもよく言われる(特に退陣したあとで)。ただ、実行力というただ一点に限っていえば(良し悪しはともかく)あったんじゃない? とにかく赤いボタン押しちゃう、みたいな

おんなじ雰囲気を渡辺さんにも感じるんだよね。まぁ空気読めないというか、周りの迷惑顧みずというか、信念は大切だと思うんだけど、もっと大切なのはその信念を自分だけで貫き通すんじゃなくて、周囲を同調させて目的を達することだと思うんだよね。でも、そこが抜けているように思えてならない。

渡辺さんがかつて官僚と戦いながら行革を先陣切ってやっていたのは(メディアのあおり報道を加味したとしても)ある程度事実。だけど、それができたのはひとえに「大臣だから」であって、閣僚から外れた今となっては、同じスタンスでやろうとしてもみんなついてこないでしょ。

自己の信念を貫くのは大切だけど、それは個人の問題であって政治家としての最終ゴールにはなりえない。政治家であるならば自己の政治哲学を世間(国会議員であれば日本国)にあって実現させることこそがゴールであって、その手段として根回しとかメディア活用とかパフォーマンスとかがあるんじゃないの? 自己の信念を曲げずに孤軍奮闘しているのは見た目にはかっこいいけれど、政治家としてはダメでしょ。だって、大臣でもないわけだし、現状ひとりでは何もできないわけだから。

現状にいらだつあまり、無茶を承知で(なかばあてつけで)造反めいたことをしてみた、という見方もできる。ただ、渡辺さんも実は今回の行動が最終的に何も大きな流れを生み出さない、ということはわかっているはずなので、本当の意図は別のところにあるのかもね。世間的にはこういうパフォーマンスは確実にウケるわけだし。状況はちがうけど、なんかかつての加藤紘一を想起させるね。

自民党執行部も解散総選挙対策に頭を悩ませているなら、いっそ渡辺さんを前面に押し出してみたら突破口が開けるかもよ。麻生さんの経済対策に本気で期待できるならいいんだけど、コケる可能性が高いなら、いっそのこと。

ただ、一般市民としては経済が立ち直ってくれればそれでいいんですけど。このままだと給料あがんねぇし。
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このあいだの東京コンテンツマーケット2008」で催された富野由悠季氏のほぼ独演会。そこで提示された「プロ論」がリアルに面白いというか興味深い。いくつか抜粋しますが――

プロで重要なことは金もうけできるかどうか。食えないとしょうがないんだから。食えてなんぼ。

「自分のは独自性があります」と言うかもしれないが、お前程度の価値基準で独自性があると思っちゃダメなんだよ。所詮(しょせん)それはコピー。だってCGでアニメやってるんだろ。今アニメなんて国でさえ持ち上げてる。それに乗ってるだけじゃない。

特にCGは手描きよりきれいに仕上がりすぎます
。ルックスの良さでごまかされていませんか、ということがすごく気になっています。

出資者という素人はアート、作りのことを知りません。「大手メーカーのCMのようなルックスだからいいよね」ということでOKを出す。それは所詮、その時代の判定でしかありません。それでは突破できないということは言える。

これだけ技術が発達したにも関わらず、ライブの演奏会や演劇が絶対にすたれないのは一体どういうことかということも思い出してほしい。

単一色で攻めた時はマニアに好かれるものは作れるかもしれないが、ジブリがやっているように、異能の組み合わせが当然大事なこと。ハーフのほうが美人じゃん、と。全部が全部そうじゃないですよ。
そういうところにクリエイティブな作業があるんじゃないかというときに、単一思考が一番危険なんじゃないかと思います。ここにいるみなさん方の立場は単一なんです。そこに違うものを入れていくということを、かなり恣意的にやらないといけない。



これだけじゃなく、この講演は全編とおして捨てるとこなしです。

重要なのはここで語られているのがあくまでも「プロ論」ということ。プロとして成功するにはどうするか。そもそもプロとしての成功とは何かと考えると、いちばん上に述べられているとおりカネになってなんぼ、売れてなんぼ。

趣味の範囲ならともかく、プロとして成功するならターゲットはより広範囲になるわけで、しかも継続してそこから報酬を引き出せるかどうかでプロとしてやっていけるかどうかが決まるってことなんだろうね。

でもさ、こういうことって話を聞いて「そうそう」とうなずけても、以外に自分も落とし穴にはまっていることがあるんじゃないかね。「お前程度の価値基準で独自性があると思っちゃダメ」なんてあたり、ホント身につまされます。

「オレは独自性がある。ただ周囲がそれを理解できないだけだ」と言い張って引きこもっている分にはいくらでもできるからね。ただ、それもふくめて評価をするのは周囲なわけで、周囲に認められることが成功の証だとするなら、誰も俺の作品のよさをわかってくれない、といってふさぎ込んでいるのはやっぱり成功とはいえないよな。

そのためには、いかに周囲を認めさせるか(おもねって認めてもらう、ではなく「認めさせる」か)。それもビジネスとして。あくまでプロ論として語られているわけなので、仕事として成功するのであればどうしたってそういう視点は必要だよね。

美術史上の偉大な画家だって現代で認められているから良いものの、認められていなければただの貧乏な変人にすぎないわけだし、そもそも認められていなければ現代でも認知されていないだろうし。王様にかこわれて創作していられる時代じゃないんだから。

そんな状態で「だれも俺のよさをわかってくれない、俺の良さはオレだけがわかってるんだ」って引きこもっているのはクリエイターに限らず、世の中にいっぱいいるんじゃないかな。企業にだっているしね。ウチの上司ではオレの能力を引き出しきれないとか、この会社じゃ自分の実力は発揮できないとか、さ。

なんでそう自己完結してしまうのかって考えると、結局は「楽チンだから」なんじゃないかな。少なくともビジネスとして成功を目指すプロのスタンスとしてはNGだよね。価値観の多様化っていうのは高度経済成長で豊かさや余裕が増すとともに選択肢が増えた結果の産物だと思うけど、あまりに多様な価値観がひろがりすぎて、しかもそれらをすべて「個性(オリジナリティ)」として受け入れることを強要するような風潮が蔓延すると、最終的には、本来通るべき道を外れても「これがオレの個性」という言い訳がもっともらしく成立しちゃうんだよね。俺のよさをわからないやつと話しても仕方ない、って。

自分の能力や魅力で相手をねじ伏せてやろうとか、相手が納得する形でまず自分の実力を証明して、それから先進的な活動をしてやろう、とか、そんなんじゃないんだもんね。自分のやり方が絶対に正義であり最強、もうそれが前提にあって、それを理解できるやつがようやく自分と同じ土俵で話せる。自分を認めないやつは「自分の価値が理解できないかわいそうなやつ」であって相手をするに値しない。そりゃ楽だよね。戦わないで相手を見下していれば良いんだから。

まぁ上のは極端な例だけどさ、私生活でもその延長でやっている人は多くない? Yahooニュースのコメ欄とかそんなんばっかだもんね。リスクを負わずに文句だけ言って悦に入っているような芸術家くずれ、評論化くずれにはならないようにしないと、なまじ情報過多で、個人の表現の場が与えられている現代は身を崩しやすいんじゃないかなぁ、と思いますな。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/31/news118.html

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